普段目にしたり聞いたりして興味を持った雑学を集めてみました。新聞からお笑い、TVドラマ、ふと目にするものの由来までどうぞ。

プロフィール

stringfellow

Author:stringfellow


フツーに雑学に興味ある方

歓迎します。荒らし、同人

客観的にモノ見れない方、

オコチャマ、アダルト等

マナー守らない方

お引取り下さいませ

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【 --/--/-- --:-- 】

スポンサー広告  |

戦後版光岡?たま電気自動車~GT-Rを作った会社はやっぱりスゴい~

tama_zidousya
日産があれだけ『GT-R』を神様のように崇め奉るのは何故だろうか。
排ガス規制前に登場した『羊の皮を被った狼』GT-Rだけじゃない。R380もしかり。
それを生み出した母体の会社『プリンス』に魅力があるのではないか

皇室用御料車もプリンスだし。元々は飛行機の会社だし。
案外知られてないのが、『たま自動車』という電気自動車が母体であること。
ぎゃにぃぃ?GT-R作ってる会社がダサイモ電気自動車?!
その影には戦後不況があった。

戦後の東京・府中
GHQの命令により飛行場工場が解体され、工場従業員は戦後、
米軍人用のジュラルミン棺おけを作るなどして糊口をしのいでいた
敵機よりも速く遠くへと精を出してきた飛行機職人にとって屈辱の日々
だが飛行機製造は米軍で禁じられている

ならば自動車だ!

しかし戦後の日本にはガソリンがなく木炭を燃料にした改造自動車が走り、
その一方で工場が空襲で焼かれてしまった為、
水力発電でも国内の電気は補えた。
ならば鉛蓄電池による電気自動車を作ろう。
今では信じられないかもしれないが、バッテリーだけで動く自動車なのだ(爆)

'46年に石川島飛行機製作所を前身とする立川飛行機は終戦を機に
電気自動車製造へと進出する
会社名を『東京電気自動車』に変え、時代の幕開けをリードしていこうとしていた

シャシーやボディはオオタから引継ぎ、エンジンだけはオリジナルという
光岡自動車みたいなコトをやってのけ(爆)
「EOT-47」(写真)完成。
最初の市販形電気自動車を発表、ネーミングがダサい、工場の地元だからって

『たま』

・・・ってフツー、車につける名前じゃないだろうよ、ポチとか犬じゃあるめぇし
しかもだよ、この車発表した後の会社名は『たま電気自動車』
どんだけぇぇぇ?

最高速度35km/h、航続距離65kmと原付も青くなるほど遅いんだが
そこらへんはこの時代。
この時代に充電池をホイールベースの脇の所のカバーをパカっとあけて交換できる
ってのはかなり革新的だったそうで
電気自動車を作ってた会社は当時4社あったそうなんだが、
その中でもこの会社は郡をぬいてトップシェアに躍り出る

'47年から’50年まで1120台という脅威の台数を作ったこの会社
『最盛期には東京、大阪、名古屋、京都のタクシーは皆うちの
会社だった』

そう振り返るのは田中次郎('11年現在94歳)

スカイライン設計者である

彼は東京電気自動車社長の外山保氏と共に陸軍航空技術研究所に所属し
軍用機を設計していた
そして電気自動車製造部門では、鉛蓄電池の強度試験の指導に当たっていた

しかし、’50年代、朝鮮戦争勃発で銃弾に使う鉛の需要で鉛の価格が高騰
さらに米国によるムリヤリな重化学工業への転換
ガソリンが日本に入り始めたのはこの時だった。
この頃会社も企業方針転換が求められガソリン車としての初めてのモデルを出し
名前も『プリンス』と変更

米国への抵抗は米国により押しつぶされ、それは豊かさと勘違いする人も
いるかもしれない
この技術がもしもいかされてるとすれば、現在は光岡のような気もする
何でかというと、あの電気自動車のシャシーベースとなったオオタは
ダットサンと自己破産するまで張り合い、最終的にはよきライバルであった
ダットサンに技術提供してるのだから。
スポンサーサイト

テーマ:車関係なんでも - ジャンル:車・バイク

【 2011/06/25 13:08 】

History  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。