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日本に召集された記憶~『農耕隊』~

noukoutai
太平洋戦争末期、日本で農作業に従事する軍服姿の
朝鮮人がいた。
彼らは『農耕勤務隊』と呼ばれ、『本土決戦』が叫ばれる中
燃料量のイモを生産するために働いていた。
しかし記載が少なく実態が不明のままで今日に至る中
幼い頃に見た記憶を辿り,青山大学名誉教授の
雨宮剛さん(写真左'08年当時73歳)が調査を始めた
'08年8月5日に韓国ソウルで元隊員だった、李喜元
(イ・ヒウォン)さん('08年現在85歳)と出会い当時について
語り合った。

『私の話が参考になるかわかりませんが』
李さんはそう切り出した
ソウル市北西にある江華島出身。ソウル近郊の工場に
勤めてたが『軍事教練』を受けた後500人ぐらいの朝鮮人と
ともに韓国・釜山から船に乗せられて山口県下関についた
途中で何班かに分けられ50人ほどで愛知県へ連れて行かれた
『創氏改名』で『青木達元』と名乗らされたことも記憶している

全性圭(チョン・ソンジュ)さん('08年現在84歳)は
『私は拳母(ころも)町(愛知県豊田市)にいました』とたどたどしい
日本語で話した後韓国語で一気に話した。
『拳母町では山を開拓して飛行機の油がないからそのための
サツマイモを作りました。時々米国の飛行機が飛んできて機銃を
撃った。仲間が何人か撃たれた』
韓明珠(ハン・ミョンス)さん('08年当時84歳)は語る
『お寺のようなところに駐屯していました。逃げ出そうとした人も
居ましたが、すぐにつかまり酷い目にあったようです』

3人とも終戦とともに開放され数ヶ月後に帰国、ソウルで暮らしている。

戦況が悪化した'45年1月、旧陸軍は『農耕勤務動員要領』を作成
航空機燃料用の甘藷の栽培が目的と見られ、要領の中に
『4月下旬に朝鮮半島出身者と交代させる』
という趣旨の記述があった。
当初は日本人の作業にあたってた可能性がある。
前年の'44年には朝鮮半島出身者の徴兵が始まっていた
雨宮さんによると、徴兵検査には日本語が不自由だったり
体格がよくなかったという理由で戦地へ送り込まれなかった
朝鮮人が『農耕勤務隊』に充てられたとみられる。

雨宮さんが初めて農耕隊を見たのは'45年春だった。
10歳だった雨宮さんは愛知県猿投村(豊田市)の
自宅近くでボロボロの軍服を着て鍬を担ぐ集団をみた
集団は荒地を開拓していく。
『兵隊さん』と声をかけても返事がなかった。
突然村に現れた集団は国民学校でも話題になった。
終戦を過ぎると見かけなくなった。

雨宮さんは大学で社会言語学を教えるかたわら
'90年代に入ると学徒出陣の証言集めに取り組んだ。
その中で『あの集団はなんだったのか』という疑問がわいてきた
'07年2月、脳梗塞で倒れ、回復した後
『やりのこしたことがあるから神様が貴方をいかして
下ったのですよ』と医師から声をかけられた。
元農耕隊員の証言を得たいと教授時代の同僚の
協力をへて韓国の新聞を通じて体験者を募集した。
'08年7月、李さんからようやく連絡があり、今回にいたったという
今後も詳しい話を聞き、報告書をまとめたいという。
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2008/08/15 17:57 】

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