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遥かなる甲子園

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'78年、沖縄で大流行した風疹の影響で生まれた聴覚障害者の
為に設立された旧県立北城ろう学校野球部の実話がベースだ
1学年のみ200人中高6年間通った。
高校球児だった大庭猛義('08年現在62歳・写真下)は
障害児教育を志し赴任してきた。

'81年4月、高等部の入学式を済ませたばかりの男子生徒3人が
職員室にやってきた
『僕らも高校野球がやりたいです、監督になってください』

手話を交え、声を絞り出すように切り出したのは、
宮里博之('08年現在42歳・写真上)
14歳で応援に行った甲子園で、太鼓がなりメガホンが鳴る音を体で
感じた。

『聞こえないはずの大歓声を聞いたんです』

バット1本とボール三個で野球部は産声を上げた。
『一人でもやめたら解散』主将になった宮里と大庭は
約束を交わし、高野連への加盟は特例で認められた。
打球音もジャッジも聞こえない、声も掛け合えない
『目で聞け、音を見ろ』
大庭は繰返した、公式戦で一勝も出来ないまま '83年最後の沖縄大会
初戦は強豪・宜野座、3-4と食い下がり9回は宮里の犠牲バントで
同点のチャンスを作るものの一歩及ばなかった。

『お前たちは立派だ、立派によくやってくれた』
生徒の卒業と同時に待っている閉校。大庭は障害児教育に専念するか
野球の指導をするか迷っていた。
『先生には甲子園に出て欲しい、その時は僕たちは北城の旗を振る』
生徒に後押しされ、大庭は普通高校に戻り三つの高校と野球部監督を
22年、県大会で準優勝は5回経験したが、甲子園には及ばなかった。

一方宮里は、上京し職業訓練校に通い会社勤めもした。
しかし'02年の暮れ『胸椎黄色靭帯骨化症』という背中の靭帯が骨のように
硬くなり脊髄を圧迫する難病におかされ、痛さのあまりに外出も困難になった。
同窓会の誘いは、それ以来断ってきた。こんな体を恩師に見せたくなかったからだ。
が、18年目にして、意を決して飛行機に乗り込んで恩師と再会した

東京に戻った宮里は週一回、都内の手話講習会で助手としておしえる
あの日の『遥かなる甲子園』を一人でも多くの人に伝えるために・・・
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テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

【 2008/07/14 21:27 】

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