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満州最初で最後の甲子園~『奉天商業』~

mansyu_koushien
甲子園に出ることが『当たり前』でなかった時代、
出場する全ての球児にとって『遥かなる甲子園』だったと思う。

'40年8月12日、旧満州の代表、奉天商業が『ただ一度』の
『満州代表』として甲子園の土を踏んだ。
内陸の奉天は、北海道の稚内よりも寒さが厳しく
春を感じる頃にノックを始めても、氷上で練習してる様な
ハンデを背負っての出場。
開会式後の第二試合、下関商(山口)に1-13で敗れたが
五回に一点を返した瞬間、歓声が実況をかき消した。
この時、監督は『まだチャンスはある』と三年生だけを連れて行った。

満鉄に勤務する父の元に大陸で生まれた、稲垣伸('08年現在82歳)さん
は、当時二年生。甲子園の土を踏むことがなかった。
先輩からは
『球場はすいこまれるような擂り鉢状だった、声援がこだましたんだ』
と聞かされ、まだ見ぬ憧れの大舞台へと胸をふくらませていた。
しなし、戦況は日増しに悪化し、甲子園は翌年に中止となる。
6歳上の兄は戦死、父親も仕事先で爆破と見られる火災でその時の
怪我がもとで死んだ。稲垣さん自らも卒業後に召集され、
済州島で終戦を迎えることになる。
そんな彼が、ひょんなことで甲子園の土を踏むことになる
それは叔父を頼って、神戸に引き上げ、日野自動車で職場で
野球チームを作ったことからだった。

社内対抗野球試合を甲子園でやろうということになったが、
あの時の『感動』が沸き起こらない。どうしてだろう・・・
今は『瀋陽』と名前を変えた奉天で聞いた大歓声
そこで聞いた声こそが『甲子園』じゃないかと

以来、稲垣さんは毎年、甲子園の開会式に通う。
あの時の感動をもう一度。
母校の跡地を訪ねたのは26年前、軍需工場になっていたので
建物にはいれず、草が伸び放題になっているグラウンドに
その面影はなかった。
かつての野球部員の多くは『消息不明』や『物故者』になっている
『甲子園に出れることが当たり前でなかった時代』
それはいかなる思いだったのだろうか。
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テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

【 2008/07/25 15:43 】

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