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占領下の沖縄からの出場~首里・仲宗根弘~

hiroshi_nakasone
今でこそ強豪の一つに上げられる『沖縄』
沖縄返還まではパスポートを持って出場しなければいけなかった
日本なのになんでだ!・・・というかヤマトンチュに判らんだろ・・・
板東VS村椿の対決にあわや埋もれてしまいそうだった。

沖縄が最初に甲子園に出場したのは'58年の40回大会
首里高校が最初。
米国の統治下で、全員がパスポートを持って、船と汽車を乗り継ぎ
甲子園に二泊三日かけて行った

首里のグラウンドは、他の沖縄の学校と同じように
沖縄戦の艦砲射撃の跡を土砂で埋めただけで、雨が降ると土が流れて
石だらけになってしまうものだった。
首里の主将、仲宗根弘さん('08年現在68歳)は、90回大会で
『甲子園レジェンズ』の11人に選ばれ、こう語っている。
『50年前、初めてみた甲子園のスケールが忘れられない』
スタンドがあり、マウンドが丘のように盛り上がって、柔らかい土があった
なんて・・・立派なんだと。
初戦で敗れはしたものの、誰もがもらえない名誉・・・『選手宣誓』をやった
『また来いよ』スタンドからの声が聞こえた。

持ち帰った『土』は『外国』からのものとして、植物防疫法にひっかかり
那覇港に捨てられた、そんな哀しい時代だった。
占領下だったということで、同じ大会の板東VS村椿の
延長18回再試合は
TVやラジオで知ることもなく翌日の新聞で知ったという。
進学した大学で野球部員募集の張り紙を見ても、肩を痛めていたので
断念した。それ以来、デパートや建設会社、商社など、沖縄で
七回転職した。

この日の為に長女とキャッチボールをして本番に備えてきたという
長女に『今度は土を持って帰ったら』と言われてきた仲宗根さんは
『50年後の大きなおみやげです』
甲子園の土をポリ袋に詰めていた。

この年の前後、日本は『米国に一泡拭かせてやろう』という
気合は今以上にあったと思う。
高校野球にしても、'57年のカナダカップの中村寅吉にしても
今の時代・・・そんなガッツみせながら表舞台に立ってるのって
北島康介ぐらいかな。
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テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

【 2008/07/31 14:39 】

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