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作曲家の息子の出会い『戦場のピアニスト』

戦場のピアニスト戦場のピアニスト
(2003/08/22)
エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマン 他

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c_spilman

九州産業大教授クリストファー・シュピルマン('08年現在57歳)は
『戦場のピアニスト』のウワディワフ・シュピルマンの息子でもある。

第二次世界大戦中、ナチスの虐殺を逃れたユダヤ人ピアニスト。
独軍大尉に見つかり求められショパンの夜想曲を弾いたところ
心を打たれた大尉は彼の命を救う。というものだ。

しかし、シュピルマンは父親から戦争体験は聞いていない。
気がつけば父はポーランド屈指の作曲家であり、
'64年の東京オリンピックの演奏旅行で東京を訪れた時の
お土産は穴の開いた五円玉とソニーのラジオだったという。

シュピルマンは18の時父親の七光りから逃れたくて英国に留学する
アルバイト先で柔道をする英国青年に声をかけられる
『柔道に興味はないか』
東京五輪で優勝したヘーシンクだった。
それ以来柔道を習い、ロンドンの書店で『姿三四郎』を見つけたのが
彼の日本へ来るきっかけともなった。

スピルマンは'80年の来日でボランティア活動を経て
米エール大で日本近代史を学んだ。
同じキャンパスには建築学に團紀彦('07年当時51歳)がいた
作曲家、團伊玖磨の息子だった。
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共に父親を同じバックグラウンドに持つ二人は意気投合する。
伊玖磨も横須賀の実家を訪ねてきたスピルマンをかわいがる
交響曲『HIROSHIMA』を作るとき英語テキストの解釈を
相談し、スピルマンが東大で勉強したいというと
推薦状を書いた。

スピルマンは米国で教え子だった佐藤千登勢('08年現在44歳)
と結婚。日本で教壇に立つ。
老いた父はよく国際電話をかけてくるようになった。
'00年7月に病に伏したと最後に交わした会話は
『水も飲めなくて死んでいった人を思うと、水を飲むのも辛い』

父が88歳で逝った二年後、映画は完成した。
ピアノを弾くことが父親にとっての鎮魂だったのかもしれないと考えている。
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テーマ:映画関連ネタ - ジャンル:映画

【 2008/04/07 18:47 】

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