普段目にしたり聞いたりして興味を持った雑学を集めてみました。新聞からお笑い、TVドラマ、ふと目にするものの由来までどうぞ。

プロフィール

stringfellow

Author:stringfellow


フツーに雑学に興味ある方

歓迎します。荒らし、同人

客観的にモノ見れない方、

オコチャマ、アダルト等

マナー守らない方

お引取り下さいませ

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【 --/--/-- --:-- 】

スポンサー広告  |

ベーブ・ルースの味?甲子園ホットドック『ファイア』

helman_fire

第一期改修工事を終えた、阪神甲子園球場、
ここに旧日本軍の捕虜だったドイツ人が甲子園で売っていた
とされるホットドックが『復活』する

お店の名前はレストラン『ファイア』
内野エリア二階部分の飲食店エリアの真ん中あたり。
計38店舗あるある売店の中で、甲子園で初となる
中華料理店、パスタ専門店が登場、
勿論、『甲子園カレー』も健在
なら、このホットドックの縁ってなんだろう?

実は'33年(昭和9)、11月、日米野球でベーブ・ルースが
甲子園を訪れた時、ドイツ人の故ヘルマンさんが観客相手に
ホットドックを売り歩いたのが最初だという。
故ヘルマンさんは、第一次大戦中、ドイツ人コックだった時
中国・青島で日本軍の捕虜となり、広島で捕虜生活を
送った後、横浜に移住。
関東大震災で経営していた工場が潰れ、その頃は神戸に
住んでいたらしい。
昭和のシングルの頃、ソーセージの様は珍しかったのか
(なんつーたって『魚肉ソーセージをモノホンのソーセージと
思ってた世代がまだまだ健在なのだから)
『中味だけ捨ててパンだけを食べる』日本人客も多かったという なんて勿体無い!

ベーブ・ルースの試合から3年後、日本は日中戦争に突入
日本中が戦火に覆われる中、故ヘルマンさん一家は長野に疎開。
戦後は原料不足に悩まされながら東京・狛江の工場などで
ソーセージを作り、味を広めていったという。

今回、お店を出すのは故ヘルマンさんの次男、
ヘルマン・ウォルシュケさん('08年現在78歳)。
神戸で苦労する父親を見て、20歳で弟子入りしたという。
『新鮮な食材を生かす』がモットーの父親は69歳で亡くなり、
工場を'57年に受け継ぎ'87年からは日本ハムの子会社で
技術顧問を務める。
(つーコトはシャウエッセン・モーニングサーブ・アンティエの
なかで一番いいのがここに並ぶのか・・・) 機械化が進む中,今も手作業にこだわる。
静岡に単身赴任し、肉を劣化させないよう室温0度を保った
工場でひき肉を混ぜ合わせる。

『父はソーセージを食べてもらえず悔しい思いをした
食文化も変わり平和な時代を迎えた甲子園で存分に
味わってもらいたいです』


その甲子園に、もう一つ『ある意味』で出店してきたのが
『ケンタッキーフライドキチン』

阪神が日本一になると、コーフンしたファンが道頓堀にある
カーネルサンダース像を川にブチこんで、それから
運気低迷する『カーネルサンダースの呪い』がかかった(爆笑)
つーのもあり、わざわざ、ケンタは
『カーネルサンダースにあやまりましょうの会』まで設けて
阪神人気低迷に底打ちしたかったらしい(オイ)
コンドはカーネルおじさまブっこまれないように。
スポンサーサイト

テーマ:阪神タイガース - ジャンル:スポーツ

【 2008/03/22 16:47 】

sports  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。