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マダム・バタフライ~蝶々夫人は生きていた(後編)~


『蝶々さん』は生きていたというのだから
彼女に実在のモデルがいるなら
ピンカートンさんにも実在のモデルって
いるはずなのだ。
実はピンカートンさんのモデルは
居留地作成の指導、明治維新の要人、
三菱の顧問を務める一方で
キ○ンビールの前身、
ジャパン・ブルワリーの設立

携わった,トーマス・B・グラバーらしい。

安政の五箇条条約で長崎が開港した
二ヶ月後1859年の9月、
スコットランド生まれの21歳の貿易商
グラバーさんは来航し、僅か四年の間に
茶や金銀で財を成し'63年にグラバー邸を
長崎に建てた。
日本語をたくみに操り、貿易や医学の先進地・長崎で
薩長両藩の支援をしていたことから
一部の歴史書に『幕末の黒幕』とも
書かれていたりした。

特に薩摩藩士の五代友厚(才助)と親しく、
離縁されてから大阪の造船所・淡路屋の実家に
戻っていた談川ツルと出逢い長崎で暮らしていたという。
その『談川ツルが蝶々夫人のモデルではないか』
という話が浮上したのはツルのひ孫で暁星学園職員の
野田和子さんの話からだった。
『母はツルが最初の嫁ぎ先(大分)で生んだ娘センの孫です。
父は祖母にツルのお墓探しを頼まれているんです』

センは18才の頃一度だけグラバー邸ですごした思い出を
娘たちに語っていたという
『聡明温順貞淑な夫人だった。その人柄に惹かれて彼女を
妻にする決意を固めた』
ツルの位牌や墓に蝶の模様があることや、彼女がモンシロチョウの
着物を着ていたこと、グラバーにピンカートンのような過去があった
ことから『汚名をはらして』とセンの子供たちは懇願した。

そして本物の『蝶々さん』の『待つ愛』は奇跡を起こす
最近、米テキサス州で原作者ロングによる
『20年後の蝶々夫人』という未発表戯曲が見つかったのだ
そこにはピンカートンの元にいる愛息の訪れを待ち続ける
蝶々さんの姿が描かれていた。
『ロングは蝶々さんを通して日本女性の芯の強さや待つ愛を
描きたかったのでは』と和子さんは語る。
実在のツルはグラバーが幕府や各版からの支払いを回収しきれず
商社を倒産させた後も連れ添い、長崎と東京を往復する華やかな
職業婦人として活躍していた。

東京に落ち着いた数年後の1899年、ツルは胃がんでこの世を去る
12年後、グラバーが73歳で東京・南麻布の自宅でなくなると
ツルの墓から分骨して夫婦の墓になった。
オペラのモデルになった夫妻は、『蝶々さん』の待つ愛が産んだ
奇跡だったかもしれない。
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テーマ:紹介したい本 - ジャンル:本・雑誌

【 2007/09/16 19:07 】

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