普段目にしたり聞いたりして興味を持った雑学を集めてみました。新聞からお笑い、TVドラマ、ふと目にするものの由来までどうぞ。

プロフィール

stringfellow

Author:stringfellow


フツーに雑学に興味ある方

歓迎します。荒らし、同人

客観的にモノ見れない方、

オコチャマ、アダルト等

マナー守らない方

お引取り下さいませ

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【 --/--/-- --:-- 】

スポンサー広告  |

格闘家は逃げられない~初代タイガーマスク・佐山聡~

sayamasatoru

『タイガーになるのは1試合だけの約束だったんですよ』
当時、英国でサミー・リーとして人気を誇っていた佐山聡('07年現在49歳)は
初代タイガーマスクになった経緯をこう語る。
普段は物腰柔らかだが、ブチ切れると無敵、
『試合前は靖国の英霊に敬礼する』という所もありながら、
大の甘党という一面も持つ格闘家
人気を投げ打っての『帰国』には訳があったのだろうか。

佐山氏は山口水産高校に入ると1年で中退、'75年7月に
アントニオ猪木('07年現在64歳)率いる新日本プロレスに入門
米国のキックボクサーにボロ負けした
悔しくてたまらず、格闘技を極めようと誓った
'78年にメキシコに渡り「サトル・サヤマ」として活躍、
NWA世界ミドル級王座を獲得しつつも、20kgも体重が
落ちるほど体調を崩し,2年後に渡英。
英国ではブルース・リーにあやかり『サミー・リー』として
マーシャル・アーツレスラーとして人気絶頂だった。

そして23歳の時、新日本プロレスから
「タイガーマスクの映画を撮るので、帰国して欲しい」
という連絡を受ける。
最初は断るが『アントニオ猪木の顔を潰さないで欲しい』
と頼まれた。全ては仁義のためだった。
出来の悪いマスクやコスチュームに耐えたのもこのためだった。

一時期、アントニオ猪木を凌ぐほどの人気を獲得
していたが、新日本プロレスでの活躍は彼がマスクを脱ぐことで
終止符を打つことになる。
『本物の格闘技はロープに逃げられない。
僕が目差したのは大相撲のように礼儀作法や精神的な
ものが一体となった武道だったんです』

そして彼は'84年に『修斗』を設立。だが、競技化や興行面を
意識する幹部とプロとしての理想を追う彼との間の溝は
埋まらなかったのか、後に離脱することに

今の総合格闘技ブームに火をつけたのは
『PRIDE』の存在だろう。
『PRIDE』の初戦は高田延彦(45)とヒクソン・グレイシーだった
が、ここ数年、運営者の分裂などで、他の格闘技系列と
協調路線という訳にもいかないらしい。
この現状を『ロープの外に逃げられなかった格闘家』たちは
どう見つめていくのだろうか。
スポンサーサイト

テーマ:格闘技 - ジャンル:スポーツ

【 2007/09/05 16:35 】

sports  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。