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戦後版光岡?たま電気自動車~GT-Rを作った会社はやっぱりスゴい~

tama_zidousya
日産があれだけ『GT-R』を神様のように崇め奉るのは何故だろうか。
排ガス規制前に登場した『羊の皮を被った狼』GT-Rだけじゃない。R380もしかり。
それを生み出した母体の会社『プリンス』に魅力があるのではないか

皇室用御料車もプリンスだし。元々は飛行機の会社だし。
案外知られてないのが、『たま自動車』という電気自動車が母体であること。
ぎゃにぃぃ?GT-R作ってる会社がダサイモ電気自動車?!
その影には戦後不況があった。

戦後の東京・府中
GHQの命令により飛行場工場が解体され、工場従業員は戦後、
米軍人用のジュラルミン棺おけを作るなどして糊口をしのいでいた
敵機よりも速く遠くへと精を出してきた飛行機職人にとって屈辱の日々
だが飛行機製造は米軍で禁じられている

ならば自動車だ!

しかし戦後の日本にはガソリンがなく木炭を燃料にした改造自動車が走り、
その一方で工場が空襲で焼かれてしまった為、
水力発電でも国内の電気は補えた。
ならば鉛蓄電池による電気自動車を作ろう。
今では信じられないかもしれないが、バッテリーだけで動く自動車なのだ(爆)

'46年に石川島飛行機製作所を前身とする立川飛行機は終戦を機に
電気自動車製造へと進出する
会社名を『東京電気自動車』に変え、時代の幕開けをリードしていこうとしていた

シャシーやボディはオオタから引継ぎ、エンジンだけはオリジナルという
光岡自動車みたいなコトをやってのけ(爆)
「EOT-47」(写真)完成。
最初の市販形電気自動車を発表、ネーミングがダサい、工場の地元だからって

『たま』

・・・ってフツー、車につける名前じゃないだろうよ、ポチとか犬じゃあるめぇし
しかもだよ、この車発表した後の会社名は『たま電気自動車』
どんだけぇぇぇ?

最高速度35km/h、航続距離65kmと原付も青くなるほど遅いんだが
そこらへんはこの時代。
この時代に充電池をホイールベースの脇の所のカバーをパカっとあけて交換できる
ってのはかなり革新的だったそうで
電気自動車を作ってた会社は当時4社あったそうなんだが、
その中でもこの会社は郡をぬいてトップシェアに躍り出る

'47年から’50年まで1120台という脅威の台数を作ったこの会社
『最盛期には東京、大阪、名古屋、京都のタクシーは皆うちの
会社だった』

そう振り返るのは田中次郎('11年現在94歳)

スカイライン設計者である

彼は東京電気自動車社長の外山保氏と共に陸軍航空技術研究所に所属し
軍用機を設計していた
そして電気自動車製造部門では、鉛蓄電池の強度試験の指導に当たっていた

しかし、’50年代、朝鮮戦争勃発で銃弾に使う鉛の需要で鉛の価格が高騰
さらに米国によるムリヤリな重化学工業への転換
ガソリンが日本に入り始めたのはこの時だった。
この頃会社も企業方針転換が求められガソリン車としての初めてのモデルを出し
名前も『プリンス』と変更

米国への抵抗は米国により押しつぶされ、それは豊かさと勘違いする人も
いるかもしれない
この技術がもしもいかされてるとすれば、現在は光岡のような気もする
何でかというと、あの電気自動車のシャシーベースとなったオオタは
ダットサンと自己破産するまで張り合い、最終的にはよきライバルであった
ダットサンに技術提供してるのだから。
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テーマ:車関係なんでも - ジャンル:車・バイク

【 2011/06/25 13:08 】

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お客様満足度100%を目指して~奈良ホテル~

narahotel
宿泊客の99%に『泊まってよかった』といわれるホテルがあるという

来館した著名人は、
ヘレン・ケラー、ジョー・ディマジオ、チャールズ・リンドバーグ、
オードリー・ヘップバーン、ダライ・ラマなどきりがない

日露戦争後の1909年(明治42年)に創業した奈良ホテルだ
『99%に満足してはいけない、100%を目指して最大限努力する
それが我々の使命』
'10年6月に就任した大橋幸之助社長('11年現在56歳)はそう話す

都ホテル創業者の西村仁兵衛が
大日本ホテルとして経営した
奈良ホテルは東京駅を手がけた辰野金吾氏が
本館を設計した
皇室や外国人貴賓客限定だったり
米軍のレクリエーション施設だった歴史も持つ

明治時代に建てられた本館の客室は
5年前のリニューアルでも仕様変更しなかった
『100年前のホテルはこんな感じだったんだと
興味をもって楽しんで貰えれば、
それを出すためにサービスを重視した』

'11年1月に全社員の半分近くが参加する研修を実施
鈴木栄二副支配人('11年現在59歳)は富士屋ホテルと、
マンダリンオリエンタルホテルに泊まった
『富士屋ホテルはお客様と接することで、
マンダリンは最高の設備でお客様の
プライベートを大事にすることで、
両者のよさを改めて実感した』
とホテルの違った意味での質の良さを語った

こうした研修の成果もあり、
ホームページは五ヶ国語対応、アメニティーの刷新
50代の顧客開拓、外国人観光客の取り込み、
婚礼部門強化など、従来のやり方に
固執しないお客様の多様化を
視野にいれた姿勢を見せる
『お客様は我々に期待している、
それを裏切ってはならない。守るべきところは守り
変えるべきところは変える』

名門を引き継ぐ社長は常に改革に挑む。  

テーマ:国内ホテル情報 - ジャンル:旅行

【 2011/06/02 21:15 】

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