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江川・小林・『空白の一日』

kuhakunoichinichi

握手する江川の表情が不自然でなおかつ緊張が
みなぎっている。
その理由(わけ)を'70年代後半の野球史に
詳しい人間なら誰もが判るはずだ。

清酒メーカー・黄桜のCM撮影で2人は初めて顔をあわせた
江川卓と小林繁、会話を交わすのは実は初めて
あの『空白の一日』の当事者同士
だというのに

'78年の『空白の一日』から29年。
この年の11月21日未明、江川は巨人と契約を交わした
『ドラフトの前日は自由の身でどの球団も契約可能』
というのが巨人の解釈だったが、
明らかに、野球協定のスキをついたものであり
倫理に反するといわれたものだった。
金子コミッショナーはこれを認めず、
巨人はドラフトをボイコット、
江川は阪神に指名されるものの
コミッショナーの強い要望で江川は阪神入団後
巨人にトレードされ、
その時の交換要員が小林だった

'79年1月31日、互いに何事もなくドラフト指名され
それぞれの球団で活躍するはずだった選手の
歯車は大きく動いた

巨人に対して『人的補填でなく金銭で』という
要求をしていたのも、江川が異端児されてきた
一つの理由でもある
その『犠牲』になったのが小林だった。
『判ってもらえないかもしれないけど・・・
列車がしらないうちに急に動き出して、その目的地が
違ってるかもしれないのに乗ってる・・・でも、
飛び降りれば、もっと多くの人に迷惑がかかる』

江川は後の『空白の一日』をこう語る。

グラウンドではお互いを『ヤスリ』として戦った。
'80年の8月16日、雨の降りしきる後楽園球場で
江川と小林は投げあった。
『僕がプロで登板した266試合の中で一番張り詰めていた』
という試合は、小林に、それ以来、『あの子』でなく
彼を『江川君』と呼ばせるきっかけになった。

が、江川から『負い目』が消えたわけではない
引退宣言の時でさえ
『小林さんに迷惑をかけました』と言った。
江川135勝72敗、小林139勝95敗の現役だった

数時間のCMの撮影の後、ようやく江川のこわばった
表情があかるくなった。

『いい機会を与えてもらいました』
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テーマ:プロ野球 - ジャンル:スポーツ

【 2007/11/21 17:30 】

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沢村栄治の娘さんが語る『見ることができなかった父の後姿』

mio_sawamura

沢村栄治とその時代

男は、いい男のいい思い出しか知らない。
女はいい男の見せたくない惨めな後ろ姿を見せて立ち上がる『勇気』に
常に『素晴らしさと本物の強さ』を感じている。
惨めなだけで『慰めを貰いっぱなし』の近年の男性とは大違いなのだが。

『私が女で父さんがっかりしたでしょう?』
88歳の母は大きく首を振る。
『ピンクの肌だ、ピンクの肌だぁってあの無口な人が大喜びしたのよ』
父は三度目に召集された。'42年12月
今、こうして聞く娘の美緒さん('08年現在63歳)は当時生後五ヶ月。
父親は輸送船と共に台湾沖に沈んだ、享年27歳。
父親の名は沢村栄治

父がプロ野球のエースと知らされたのは10歳の時、
大学入試のため上京したときにはただ驚いた、志望理由も聞かれないうちに合格。
東京で暮らした36年間、父の武勇伝を聞かされた。
就職した広告会社の取引先からも『沢村選手の娘だって』と
話はつながってしまう。親を煙たがるのでなく、後ろで守ってくれてる
いつしかそう思うようになった。

'97年のある日、都内のイベントでスタッフからタレントの青空うれし((08年現在73歳)を
紹介される。青空はその場で、知り合いだった、山口千万石に電話をかけた
父の故郷、三重県宇治山田市(伊勢市)の尋常高等小から京都商で、
バッテリーを組んだ捕手だった。
『栄ちゃんの娘にあいたい』山口は父の墓参りであうことを
約束する。
'03年、京都学園創立80周年記念で沢村栄治のブロンズ像をたてるので
来て欲しいと以来された。山口氏からの依頼だった。
秋の京都、式典前日にホテルのロビーで出会った男性が言った。
『人目で沢さんの娘さんだと判ったよ』

外野手としてその雄姿をやきつけていた金子澄雄だった。
しかし、ブロンズ像の除幕式を前にして、金子も山口も帰らぬ人となってしまう。

美緒さんの母は、沢村氏が24歳の時に結婚した。
戦地で手榴弾をなげすぎて肩を壊し、飛行場の工員として働く
失意の姿を見てきた。

父親のブロンズ像を見てから、美緒さんは京都学園野球部に
ミカンジュースの差し入れを届ける。
『父ならそうしたはずでしょうから』

テーマ:野球全般 - ジャンル:スポーツ

【 2007/11/15 20:32 】

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中嶋の息子がF1デビュー~中嶋一貴~

f1nakazimaoyako

F1に参戦するウィリアムズ・トヨタは'07年11月7日
'08年の正ドライバーとして中嶋一貴(22)と契約した。
'87年から91年までF1に参戦した中嶋悟(54)さんの長男で
'06年のブラジル・グランプリでスポット参戦しているが
父子でF1フル参戦というのは日本初である
同選手は『うれしい。父と同じ土俵に立てた。
自分なりに思い切ったレースをしたい』
と話し、悟さんは
『頑張って欲しい』とエールを贈る。

一貴はブラジル・グランプリ(GP)決勝で10位のゴールイン、
22選手中,一週目のタイムは自己最速の5番目で、
同じ車で走った同僚のロズベルクを上回った。

物怖じせず果敢に追い抜きをかける積極性も披露していた。

悟さんを父親に持つことから『エリート』とみなされがちだが、
その『中身』は挫折からの這い上がりだ。
'01年、トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム(TDP)の受験に失敗
1年の『浪人』を経て入学。
TDPのレーシングマスター校長でル・マン24時間耐久レースでの
優勝経験を持つ関谷氏は
『日本人にしては順応性が高い』と評価する。
'07年は第3ドライバーとして調整に回る一方でGP2シリーズに参戦。
新人王に輝いた。
父・悟さんのGPデビューが34歳、一貴は23歳。
『シューマッハたちは3歳からゴーカートに乗っていた。
僕のスタートは遅すぎる』
と語る。
将来を考えると、鈴木亜久里、佐藤琢磨の記録を破るかもしれない。

テーマ:F1グランプリ - ジャンル:スポーツ

【 2007/11/07 19:25 】

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