普段目にしたり聞いたりして興味を持った雑学を集めてみました。新聞からお笑い、TVドラマ、ふと目にするものの由来までどうぞ。

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長井さんの最期を撮ったカメラマン~アドリース・ラティーフ~

adreeslatif
銃声が響く中、夢中でシャッターを切った。
指が震え、心臓が音をたてた。
'07年9月27日、ミャンマー(ヤンゴン)で歩道橋からデモを撮影してた
自分のファインダーの中に
撃たれてなおシャッターを切り続ける男性が映った。

発砲する車、逃げ惑う群集、ファイダーの中で倒れる男性と
銃口をむける兵士・・・
映像ジャーナリスト長井健司さん(享年50)の最期を捉えたのは
ロイター通信社のカメラマン、アドリース・ラティーフ氏('08年現在34歳)だった。

パキスタン生まれ、移住した米国で幼い頃から写真を始め
16歳で地元テキサスの新聞を飾り、フリーを獲経て '03年
タイのロイター通信に拠点を置くことになった。

あの写真が世界中に配信された後、母と妻は
『帰ってきて』と懇願した。以来、長井さんの遺族のことが頭を離れなかったという。
長井さんと面識はない。命がけで撮った写真の被写体が皮肉にも
自分と同じ戦場カメラマンと後で知った。
写真誌『DAYs JAPAN』の国際フォトジャーナリズム大賞特別賞を受賞
彼は長井さんの妹さんに会う。そこで長井さんお最期を伝えることが出来たという
『歴史の転換点を撮るという情熱を僕らは共有していた。
あの日の出来事を僕は誇りに思う。』


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テーマ:世界恒久平和を実現しよう - ジャンル:政治・経済

【 2007/09/30 20:07 】

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上方からの挑戦~澤野工房~

音楽産業の東京一極集中が始まったのはいつだろう
戦後、いや、戦中にはもう『歌手目指して上京』という概念が
あったのだからやっぱり戦前'30年代ぐらいかもしれない。
映画館が昭和30年代で大盛況を迎える前は
レコード会社が全盛期だったかもと言わんがばかりに
上方にはレコード会社がボコボコできていた。
そのレコード会社も映画産業繁栄と共に『一極集中』し始める

今は新宿のオリエント・レコードも昔は京都、西宮の内外は
太平に吸収され、ブっつぶれる前はキ○グの工場になったり、
ジャズを作ったりと,イロイロやったものの
ビ○ターにボコボコ歌手を引き抜かれお取り潰し。
大阪のニットーも住吉大社の近くにあったそうだが
こちらも太平に吸収合併。
・・・となると関西のレコード会社は殆ど
ビ○ターにもっていかれたコトになるのか?オイ?
情けないやらなんやら。

『お笑い』以外何も『発信』できなかったら困るじゃないかー
そんな大阪は20世紀末に新しいレーベル、しかも
ジャズを生み出した。澤野工房
元々、今も大阪で履物屋を営んでいる。
が、ジャズが好きでヨーロッパのピアノ・トリオを聞いていた
ご主人であり4代目の澤野由明さん('07年現在57歳)が
前身の『澤野商会』を作り、レコードの輸出入や
LP製作に手を出し、'98年にCDに手を出した。
『自分が聞きたい音楽をモットーにやってきて
毛細血管に血が流れた気がする』

履物屋を営む傍ら、音源編集、包装を手がけ、
毎月オリジナルアルバムを発売する『ハンド・メイド・ジャズ』が信条
ピアニストの山中千尋を世に知らしめたのは澤野工房である

その『知名度』はジャズ・マニアの間にじわじわ浸透し、
タワー・レコードでも『澤野工房』のCDがイベントとして
開かれている。

テーマ:JAZZ - ジャンル:音楽

【 2007/09/25 19:32 】

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映画『ワールド・トレード・センター』が描かなかった米国

jimrichelz911

映画は時に真実を語らない時もあるのだろうか。
大味・興行収入第一と揶揄されるJ.ブラッカイマー製作の
『ワールド・トレード・センター』は、あの9・11のテロに向かう
消防士を描いた感動の映画というキャッチコピーと共に
上陸してきたが、見に行く気になれなかった。
それには『映画が隠した真実』もあるのではないか、という
やりきれない気持ちもあるからだ。

『息子が殉職したのはテロリストのせいじゃない。
ビルの中で通じない無線を導入し、アスベストで汚染された
空気を安全だといって、紙マスクしか使わせなかった
あの市長のせいだ』

9・11は当時のNY市長ジュリアーニを『英雄』に祭り上げた
それがあっていたのか、どうなのか、その『答え』は
勇気を持ってあのビルに飛び込んだ消防士たちが持っていたのに・・・

生粋のニューヨーカー、ジム・リッチェズさん(写真・'07年現在56歳)は
消防士歴31年、3人いる息子も同じ道を辿った。
その日は長男ジミーさんの30歳の誕生日の前日だった
『明日の誕生日、家族で夕食を囲もうね』
それが最後の会話だった・・・
'01年9月11日、長男は最初にWTCビルに駆けつけた
消防士の一人だった。
遅れて着いた父は長男がビル崩壊に巻き込まれたことをしった。
ヘルメットと遺体がみつかったのは翌年の3月。
父親は静かに息子の遺体を星条旗に包んだ。
その父親も無傷だったわけではない。
体調の粉じんを吸ったことで呼吸困難になり、
16日昏睡状態に陥った。

世界に流れた『映像』は崩壊直後のグラウンド・ゼロで
危険を顧みず陣頭指揮をとる市長だが、実際は違う
カメラの前で著名人と共に現れすぐに消えた市長だった
次の大統領選挙で必要なものに『正直さ』を求めるひとが
『リーダーシップ』の16%を上まり3割以上に上っていた。
これは米国の不安な世相を意味してるのではないだろうか。

テーマ:私が観た映画&DVD - ジャンル:映画

【 2007/09/20 18:28 】

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マダム・バタフライ~蝶々夫人は生きていた(後編)~


『蝶々さん』は生きていたというのだから
彼女に実在のモデルがいるなら
ピンカートンさんにも実在のモデルって
いるはずなのだ。
実はピンカートンさんのモデルは
居留地作成の指導、明治維新の要人、
三菱の顧問を務める一方で
キ○ンビールの前身、
ジャパン・ブルワリーの設立

携わった,トーマス・B・グラバーらしい。

安政の五箇条条約で長崎が開港した
二ヶ月後1859年の9月、
スコットランド生まれの21歳の貿易商
グラバーさんは来航し、僅か四年の間に
茶や金銀で財を成し'63年にグラバー邸を
長崎に建てた。
日本語をたくみに操り、貿易や医学の先進地・長崎で
薩長両藩の支援をしていたことから
一部の歴史書に『幕末の黒幕』とも
書かれていたりした。

特に薩摩藩士の五代友厚(才助)と親しく、
離縁されてから大阪の造船所・淡路屋の実家に
戻っていた談川ツルと出逢い長崎で暮らしていたという。
その『談川ツルが蝶々夫人のモデルではないか』
という話が浮上したのはツルのひ孫で暁星学園職員の
野田和子さんの話からだった。
『母はツルが最初の嫁ぎ先(大分)で生んだ娘センの孫です。
父は祖母にツルのお墓探しを頼まれているんです』

センは18才の頃一度だけグラバー邸ですごした思い出を
娘たちに語っていたという
『聡明温順貞淑な夫人だった。その人柄に惹かれて彼女を
妻にする決意を固めた』
ツルの位牌や墓に蝶の模様があることや、彼女がモンシロチョウの
着物を着ていたこと、グラバーにピンカートンのような過去があった
ことから『汚名をはらして』とセンの子供たちは懇願した。

そして本物の『蝶々さん』の『待つ愛』は奇跡を起こす
最近、米テキサス州で原作者ロングによる
『20年後の蝶々夫人』という未発表戯曲が見つかったのだ
そこにはピンカートンの元にいる愛息の訪れを待ち続ける
蝶々さんの姿が描かれていた。
『ロングは蝶々さんを通して日本女性の芯の強さや待つ愛を
描きたかったのでは』と和子さんは語る。
実在のツルはグラバーが幕府や各版からの支払いを回収しきれず
商社を倒産させた後も連れ添い、長崎と東京を往復する華やかな
職業婦人として活躍していた。

東京に落ち着いた数年後の1899年、ツルは胃がんでこの世を去る
12年後、グラバーが73歳で東京・南麻布の自宅でなくなると
ツルの墓から分骨して夫婦の墓になった。
オペラのモデルになった夫妻は、『蝶々さん』の待つ愛が産んだ
奇跡だったかもしれない。

テーマ:紹介したい本 - ジャンル:本・雑誌

【 2007/09/16 19:07 】

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マダム・バタフライ~蝶々夫人は生きていた(前編)~

『ある晴れた日、海のはるか彼方に煙がひとすじ見える。
真白い船が港に入ってくると礼砲が響き渡る、見える?
帰っていらしたのよ』


オペラ『蝶々夫人』で18歳の蝶々さんは愛する『夫』の
米海軍中尉ピンカートンが帰る日を夢見て歌う。
ついに船が入港すると、夫の船を見つけるが、翌日
夫の裏切りを知って命を絶つというメロドラマ
として語り継がれてきた。

オペラを作ったジャコモ・プッチーニや
劇曲を作ったデヴィット・ベラスコ、
元になった小説を記したジョン・ルーサー・ロングも
当時『言い伝え』程度の話をオペラ化したまでのこと。
オペラの中の『蝶々さん』は長い間
『可憐な少女』と言われて来たが、原型の『蝶々さん』は違う
原作者ロングは、当時、宣教師A.コレルと共に
住んでいた姉のサラから『蝶々さん』の話を
聞いたらしい。
コレルが学長を務めた鎮西学院ゆかりの
長崎ウェスレヤン大学には唯一の原作翻訳本がある。
そこに描かれる『蝶々さん』は、
ピンカートンとの間に生まれた男の子と、年下の女中スズキと
四人で帰りを待っていたらしい。
そこに彼は本国で結婚したアデレードをつれてやってくる。
蝶々さんは、彼からの手切れ金をつきはなし
潔く去ってしまうというのだが・・・

最後のページにかかれてあったのは
『ピンカートン夫人が翌日ヒガシ・ヒルの
小さな家を訪れた時もうだれもいなかった』
ということだった。
どういうことなんだろう。
『蝶々さんは生きていたんです』
…続くのだ。

テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

【 2007/09/15 18:07 】

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海の向こうに渡った日章旗の持ち主

rosenboug
nissyouki

太平洋戦争に出征した旧日本兵へ贈ったとみられる
日章旗が米カリフォルニア州サクラメント市の会社員
ジム・ローゼンバームさん(47)の手によって見つかった。
彼は同州アーバン市のガレッジセールで南北戦争
(1861~65年)の骨董セットを725ドル(約8万6千円)で購入
その中に日章旗があったらしい
骨董品の持ち主は故人で入手経路は不明だそうだ
『兵士はなくなっているかもしれないが、魂だけでも
故郷に返してあげたい』

ローゼンバウムさんは、勤務先の同僚・東さん託し
元の持ち主や遺族を探しているという。

旗は、67cm×81cm
『進撃一路』『がんばれ兄ちゃん』『わたしたちの分もお願い致します』
などの激励が書かれ、
右下に'36年から朝日新聞で連載されていた
マンガ・フクちゃんのキャラクターが描かれていて

血痕も混じっているという
寄せ書きには『柴原万亀子』という名前や『柴原』
という名前が多く、『柴原という兵士の出征時に家族や
友人が送ったのでは
と推測する
他に日章旗に書かれた寄せ書きは
『中村軍曹、千鶴子、上田義輝、玖村精一、國光豊、
安倍京、崎田佐太郎、松尾半次郎、松川悠々子

などがあるという
持ち主についての情報は、こちらまで

テーマ:平和を願う - ジャンル:政治・経済

【 2007/09/07 16:52 】

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格闘家は逃げられない~初代タイガーマスク・佐山聡~

sayamasatoru

『タイガーになるのは1試合だけの約束だったんですよ』
当時、英国でサミー・リーとして人気を誇っていた佐山聡('07年現在49歳)は
初代タイガーマスクになった経緯をこう語る。
普段は物腰柔らかだが、ブチ切れると無敵、
『試合前は靖国の英霊に敬礼する』という所もありながら、
大の甘党という一面も持つ格闘家
人気を投げ打っての『帰国』には訳があったのだろうか。

佐山氏は山口水産高校に入ると1年で中退、'75年7月に
アントニオ猪木('07年現在64歳)率いる新日本プロレスに入門
米国のキックボクサーにボロ負けした
悔しくてたまらず、格闘技を極めようと誓った
'78年にメキシコに渡り「サトル・サヤマ」として活躍、
NWA世界ミドル級王座を獲得しつつも、20kgも体重が
落ちるほど体調を崩し,2年後に渡英。
英国ではブルース・リーにあやかり『サミー・リー』として
マーシャル・アーツレスラーとして人気絶頂だった。

そして23歳の時、新日本プロレスから
「タイガーマスクの映画を撮るので、帰国して欲しい」
という連絡を受ける。
最初は断るが『アントニオ猪木の顔を潰さないで欲しい』
と頼まれた。全ては仁義のためだった。
出来の悪いマスクやコスチュームに耐えたのもこのためだった。

一時期、アントニオ猪木を凌ぐほどの人気を獲得
していたが、新日本プロレスでの活躍は彼がマスクを脱ぐことで
終止符を打つことになる。
『本物の格闘技はロープに逃げられない。
僕が目差したのは大相撲のように礼儀作法や精神的な
ものが一体となった武道だったんです』

そして彼は'84年に『修斗』を設立。だが、競技化や興行面を
意識する幹部とプロとしての理想を追う彼との間の溝は
埋まらなかったのか、後に離脱することに

今の総合格闘技ブームに火をつけたのは
『PRIDE』の存在だろう。
『PRIDE』の初戦は高田延彦(45)とヒクソン・グレイシーだった
が、ここ数年、運営者の分裂などで、他の格闘技系列と
協調路線という訳にもいかないらしい。
この現状を『ロープの外に逃げられなかった格闘家』たちは
どう見つめていくのだろうか。

テーマ:格闘技 - ジャンル:スポーツ

【 2007/09/05 16:35 】

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『メード・イン・チャイナなしの一年間』が語るグローバリゼーションの恐ろしさ

sarabongiorni

きっかけはクリスマス
米ルイジアナ州の自宅の床を埋め尽くしたプレゼントを
ふとみたらすべて中国製
家の中もそう。
『中国製品なしの一年間ってどうなるんだろう』
フリーランスライターのサラ・ボンジョルノさん(写真)が
渋る旦那さんを説得して3年前に始めた『実験』が本に
なった。それから、買い物はラベルをチェック、幼児用の靴から
ウェディングドレスまで、世の中全てに中国製品が
溢れていることに気がつく。
気の毒だったのは子供たち
米国で売られているおもちゃの8割は中国製
実は我が家にある某有名アニメのぬいぐるみだって中国製だ

それを考えたら出来ない・・・情けないハナシ・・・

本を出版した今年、中国産製品からの有害物質が発見された
『全くの偶然。政治的意図でもない。反中国の本でもない
これはある家族の物語なんです』

彼女はいう。
新聞社で10年以上働き、経済記者に。

『グローバル化はいたるところで家庭につながっている』
そうとなえたジャーナリストの家族の実験なのだが、その一方で
こんな本も出版されている
一見普通のMade in USAのTシャツ、だが、原材料の綿が生産されている
のは中国。生産工程だけを自国でやるアウトソーシングというものだ
Tシャツだけではない。
デルコンピューターにしても、最近の充電電池のトラブルは
会社は自国のものでも『中身は外注部品』という他人任せから
来てるからだろう
この本における『自由貿易の最たるもの』が、富裕層が出した
『いらなくなったTシャツ』が、彼らの考える
『恵まれない発展途上国』に送られ、そこで
『綿にリサイクル』され、また『先進国へ綿として輸出』
される事実ということに恐ろしさを感じる。

テーマ:経済 - ジャンル:政治・経済

【 2007/09/02 16:23 】

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