普段目にしたり聞いたりして興味を持った雑学を集めてみました。新聞からお笑い、TVドラマ、ふと目にするものの由来までどうぞ。

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力石の『減量』は原作者の苦肉の作だった?


昔の漫画の原作者といえば『梶原一騎』。が
彼はもう一つPNを持っていた、『あしたのジョー』の
『高森朝雄』も同じ人
『どっちでもいいじゃないかぁぁ』
と思いつつストーリー的には『梶原派』だったワタシは
お元気破天荒ながらも義理堅い『侍ジャイアンツ』の
蛮ちゃんはTVでカワイイと思い、梶原原作で実は
魔球を極め自滅してしまう主人公と知りおののいた。
その『梶原節』というか『死への美学』がTVでも残ってる
のがPN変えても『あしたのジョー』

何といっても主人公の矢吹丈の『燃え尽きちまった…』よりも
ライバルの力石の『自分を追い込む過酷な減量』の末に
死んでいくシーンは、世代を超えて、また、あらゆる
アニメのライバルに影響を及ぼしてる。
(個人的に一番顕著だな~と思うのは『F-エフ-』の
の軍馬における聖さんみたいなモノっすね)
かれこれ時は36年前、(このブログ書いてるワタシが
まだ生まれてない(爆))3月24日に『力石さんのお葬式』が
文京区の講談社で開かれて以来、力石さんの『命日』は
必ずファンが追悼してるというのだから、
一マンガのライバル役の『命日』をこれほど追悼する国
ってのはないだろう。
が、この力石の『過酷な減量』実は、原作者の高森氏こと
梶原氏の『偶然の産物』だったらしい。

少年マガジン連載時に、丈が少年院を脱走して
豚の群れを暴走させるシーンで、力石がその群れを
止めるシーンが二人の出会いだった。
力石が『体を張って止めた』のを描きたかったちば氏は
力石を丈よりも威圧感のある大柄の男に描いた。
原作者の高森氏は、
『将来プロのリングで戦うのにこの体格さだとマズいだろう』
と頭を抱える、これでは同じ『階級』にならない。
一方、作画担当のちば氏は力石は
『丈の少年時代しか出ない人間』としか考えてなかった
で、物語のつじつまを合わせるために考えた苦肉の策が
『減量』だった。これが結果的にファンの心を掴み
力石は『伝説』になろうとは思ってもいなかっただろう。
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テーマ:なつかしい「マンガ」を語ろう!! - ジャンル:アニメ・コミック

【 2007/03/31 18:49 】

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ドイツの交流型マンション

yungu

日本と同様に少子高齢化の進むドイツで子育てに
知恵を借りたい若い親たちが、同じ建物に住んで交流する
『多世代共生型住宅マンション(ユング・ウント・アルト)』が
注目されている。
各地で入居まちで独政府は今年から増設や運営支援に
乗り出したが、その一方で20年前のように『近所付き合い』
が当たり前という風にも行かないものもあるらしい

人口約3000人の南部のワルトブルグ市は製紙業と商業の街
この中心部にある『ユング・ウント・アルト』の一階の共有部屋には
日中住民の姿が絶えることがない。
約80平方メートルの部屋に大きなテーブルとイス、
本棚には哲学書から絵本まである。
くつろぐ80過ぎのおばあさんが、よその2歳の子供にせがまれ
ボール遊びをする姿、近くではトイレに立つおじいさんを手伝う
女の子の姿、全員の買い物を引き受ける若い母親の姿も
見かけるという。
このマンションは3階建て、42~77平方メートルの36戸に
44人が暮らしている。
年齢平均は0~17歳が8人、18~39歳が6人、40~59歳が5人
60~79歳が10人、80歳以上15人、一世帯あたり1.2人と
平均を下回るものの、家賃も最高で500ユーロ(79000円)と
平均的だ

『良好な近所付き合いが建物全体に安心感をもたらす
率直に注意しあうぐらいが最良の関係』
というのは
住民の生活の世話や交流の仲介をする『マネージャー』と
呼ばれる一人、クリスタ・ベレ・レブヘルツさん(58)
こうしたマネージャーはマンションに常駐し、住民のトラブルが
尾を引かないよう手助けする為、介護福祉、コミュニケーションを
学んだ人間が配属されている。

元々、『ユング・ウント・アルト』は15年前にワルトブルグ市の
福祉モデル事業の一環としてはじまった
少子高齢化への危機、高齢者へのアンケートをとった所
『普通の生活を続けて社会とつながっていたい』
という声が多かったことから始まった。
しかも高齢者が『元気』であったことから食事や医療を『完備』した
『介護型』ではなく『孤独解消、元気づけ』が目的の『共生型』
になったという。
こうしたマンションの運営は福祉財団『ザンクト・アンナ・ヒルフェ』
入居者の選択は財団のスタッフとマネージャーが行う
マンションの年齢層、子供の数などを考慮するそうだ。

こうした形の『共生型マンション』が日本で実現するかは
いささか疑問だ。
日本人の土地によっては『度の過ぎた個人的詮索』や
『村意識』があると、それだけで『共生型マンション』は
出来ないだろう。
公園デビューもためらい、ネットのSNSママサークルに入る母親や
引きこもり、ニートも増える今、日本では実現は困難だと思う

テーマ:ドイツ生活 - ジャンル:海外情報

【 2007/03/27 15:30 】

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富士ゼロックスのCMのバックフリップ経営者って?


富士ゼロックスのCMったら最近スポーツもので
今は、世界選手権三連覇を狙った(けど惜しかった
先日の東京では銅メダル)のスイスの貴公子
ステファン・ランビエールが華麗な演技を
見せる横で
ダレだ、あのバックフリップのオッサンは!
と思った人もいるかもしれない。
一企業の経営者が競技フィギュアで禁止されてる
バックフリップを軽々やっちゃったらドギモ抜かれる
思いだろう(汗)
アレはフケメイクなのだ、れっきとした
実演してるお名前はライアン・ブラッドレイ、
'84年生まれの22歳、現役フィギュアスケーター
ちなみに素顔はこちら
bladly

スケート選手の両親の元に2歳からスケートをはじめ
'07年の全米選手権で2位の腕前だったそう。
CMのオーディションの条件はバックフリップが
出来ることで彼にきまったそう。
勿論、彼の明るいキャラで売り込んだ
のでしょうなぁ。んで'06年12月に
軽井沢でCM撮影。

実は今回の世界選手権に出てた
はずなんですが…
…何位だったの??ブラッドレイ(涙)??
まぁ、女子は昔から美女揃いですが男子フイギュアも
イケメン多いですねぇ。あまり『王子様』ルックス
だとひいてしまいますが(爆)
今回日本人初メダルを獲得した高橋クンは
あのプレッシャーの中よくがんばりました。
織田君は本当に惜しかった…運がなかったというか…
フリーでの巻き返しでも実力はあると判るだけに

今回のメダルはヤクデンが一時コーチについた
フランスのジュベール。
ヤクデン、引退してしまうには惜しかったですね…
自分を一途に貫き、許せないことに抗議していく
姿は社会主義国では伸びなかったのかも
今回『逆転の帝王』と呼ばれた米国のライザチェクが
あまり伸びなかったのが残念~。ガンバってくれ~

テーマ:フィギュアスケート - ジャンル:スポーツ

【 2007/03/22 17:03 】

sports  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

エッフェル搭~設計したのは別の人~

エッフェル搭、いわずと知れた『エッフェルさん』が作ったから
この名前なのだけど、
設計したのはステファン・ソーヴェストル、
および構造を担当した技師モーリス・ケクラン
であり、
エッフェルはその建設を請け負ったエッフェル社の代表である。
じゃぁ、設計者を差し置いて『有名』になったワケは

当時のおフランスの建築業界は日本のとび職真っ青の階層社会
都市景観をデザインするのは建築家というエリートだけ
エッフェルさんのような『土木技師』はおよびでなかった。
名門校にスベり第二志望のエコール・サントラルで技術職を学び
’66年に鉄道資材会社から独立して会社設立。が
パリのコミューン運動にひっかかり、国外のオシゴトが
殆どなく国外活躍ということもあった。
パリ・オルレアン鉄道の技術者を務め、
多くの鉄橋・駅舎(ガラビ橋、パリのメトロのリヨン駅など)
の設計にかかわり、鉄骨の構造を大胆に剥き出しにした
巨大建築物を施行。
が、鋼鉄を素材とし用いたものは比較的少ない。
1885年 に建設に着手したモランヌ橋のほか数点のみである。
しかも彼の技術者としての経歴は全てが順風満帆と
いうわけではなくエッフェル搭お仕事依頼前の1884年には
タルド河のエヴォー高架橋を

建設途中に倒壊させる大事故を起こしている。

フツーこんな会社がパリ万博のモニュメントタワー
作れんだろうか…

この頃の建築家のトップはエコール・デ・ボザール
(美術学校)をでた建築家がローマ風の石造建築の
図面を書いていた。
1887年 から1889年にかけて、革命百周年記念となる
パリ万国のモニュメントを作るコンペティションが行われた。
対抗馬は建築家のジュール・ブールデ、
彼は350メートルの石造りの建物から
ライトアップするつもりだった。
現代で考えればタダのアンティークな建物のライトアップ

終わって観光客もこんなに来ないだろうし、
万博終了後よくて一階部分はどこかのDCブランドの
路面店が入り、日本人オババに将来あらされる
ことになったろう。
エッフェルには自分トコのお抱え設計士のステファンと
技師のモーリスに設計構築をまかせ2年2ヶ月という
この頃にしては超ド短期の工期でタワーってモノを
建ててしまい、建築家のドキモを抜いてしまった。
今からすれば、孫受け会社の平社員数名が、大手土建会社で
現場代理人ヌキで一から仕事を全部こなしてしまったと
思ったらいい。
その責任の一環をしょったのは社長のエッフェル
ギリシャ、ローマ、どの古典建築とも縁もゆかりもない
タワーを橋げた技術を生かしてセーヌ川の芝の上に作り上げた。
それだけに建築業界のイケズもすごかった。
反対派の一人モーパッサンにいたっては
『ここが一番のお気に入りの場所だ、エッフェル搭を
見なくてすむからね』

などと京○人も蒼くなるイケズをのたまった。
エッフェフは完成後20年間のリスクを全て請け負うという
異例の条件をのみ
なんじゃかんじゃと『壊そう』とする建築家に、
あえて搭が『美しい』とはいわず『利用価値のあるシロモノ』
であることを売りとした
搭の中に自分の研究室も作ったし、最終的には無線搭になった。

この功績が認められ、彼は自由の女神の内部構造の設計に携わり、
同年には民間技師協会の会長に就任。
おフランスのつまらない階層社会を砕いたのは何もエッフェルさん
一人の努力じゃない、優秀な社員いてこそだったのだ。
それでも『技術や設計者』の名前じゃなくてエッフェルさん
の名前が最終的に残ったのは、
『完成した搭を残すことに尽力をそそいだ』というのも
あるんだろうなぁ…見てもらって利用してもらってこその建築物

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2007/03/16 18:14 】

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高校生バンドネオン奏者初コンサート

kazumamiura

父親はピアニスト。10歳の時、国内の第一人者・小松亮太の
演奏を聴いて何百回と見、音色の似たハーモニカを一日中吹いた
それが、彼とバンドネオンとの出逢いだった。
別名『タンゴ演奏の楽器』とも言われるが
アルゼンチンに伝来したのは19世紀末。 今では、タンゴのみならず、ジャズセッションも開かれる。
楽器はドイツ製(Premier社)で平均価格帯は65~100万
チェンバロの音色が美しいのと同じように、音色として
満足できるものを求めれば、戦前のドイツ製のものになる
大半は、師匠から弟子へと楽器を譲り渡すというもの・・・
教会でパイプオルガンの代用として使われていたとも言われ
ドイツ人ハインリヒ・バンドが元々あったコンセルティーナなどの
リード楽器を改良して作ったのがバンドネオンだという。
アコーディオンをルーツに標準で側面右38個、左33個で合計71個の
ボタンと蛇腹の開腹で情熱的かつ哀愁にあふれる音色を奏でる
その際、開閉同音なのがクロマティコ,開閉異音なのがディアトニコと
呼ばれ各ボタンにあてはまる音も異なるので、どちらも弾ける
演奏家というのは今の所聞いたことはない。

それだけに日本でもプロの演奏家は数えるほどしかいない中
若干16歳の青年がコンサートを開くことになった。
彼の名前は三浦一馬
小松氏の新譜発表会に彼が行ったのは、バンドネオンに魅せられた
半年後、演奏会の一番前に座り、サイン会の先頭に並び
バンドネオンをやりたいと懇願した。
数日後、小松氏本人から楽器が届く、熱意が伝わった。
今は月1,2回、『師』の指導を受け数時間の独習を重ねる毎日だ
そんな彼にさらに転機が訪れる。

'06年春、九州国際音楽祭で来日した世界最高の奏者
ネストル・マルコーニ氏にメールを送り打ち上げ会場の寿司屋で
弾く機会を得た。『いい音だ』
巨匠の微笑みは彼の才能がさらに伸びることを意味していた。

'06年の夏休みまでに自作CDで渡航費の一部をつくり
巨匠のレッスンを受ける機会に恵まれた。
3/17より首都圏でコンサートを開く。
さらに活躍の場が期待されることを望む。

テーマ:楽器 - ジャンル:音楽

【 2007/03/09 16:33 】

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子供を思い爆死した爆弾処理班

ali_hamido

『あの人には子供が人生のすべてだった』
13歳を筆頭に5歳まで女1人、男3人の子供の父親は
イラク内務省爆発物処理班『バクダット・ホークチーム』の
10人目の殉職者となった。
寒い夜、かじかむ手による作業で手元が狂いかねない中
『手っ取り早く作業を』と進める警官に
『早く済まそうと思い爆破処理をすると子供たちを爆音で
起こして怖がらせてしまう』

処理班の人間が怖気ついた作業をこなし、彼は起爆装置を
解除し、爆死した。

写真の『ホークチーム』のイラク人18人と教官4人の中で
'07年2月の生存者はわずか5人だ

爆死したアリ・ハミード(34/写真前列三人目)の弟フセインは、
この時風邪をこじらせ自宅にいたので助かった。
最盛期の'04年、ホークチームには58人の仲間がいた。
しかし爆弾テロが急増する中、アリたち25人が殉職。
これ以上の危険に耐えられないと9人が辞職願いを出し
14人が転属願いを申し出た
今処理班に残るのは10人。
フセインはアリの存命中にも辞職願や異動願を出したが
その度にアリは怒った
『お前たちはオレを自分の生活だけ考えて 他人を考えない臆病者にするつもりか』
アリは家族の心配を常にしていた。
無事で帰ることが何よりと思っていた。
それだけに子供が病気になると情けないほど心配したという。
心労で体調が崩れるほどに・・・
近所の菓子店には
『うちの子には何でも好きなものを買ってやってくれ、代金は
あとでオレが払うから』
といっていたという。
それは短い命がそうさせていたのかもしれない。

テーマ:悲しい出来事 - ジャンル:ニュース

【 2007/03/09 16:29 】

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不毛の地イスラエルの農業『キブツ』

islaelyousyoku

エルサレムから南へ約200km、旧約聖書に
『乳と蜜の流れる土地』と書かれたこの土地は今、
不毛の砂漠地帯であり長年敵対してきた
アラブ諸国からの援助も受けられない。
そこに今農業共同体『キブツ』が出来ている。

『キブツ』とはヘブライ語で『集団』の意味
メンバーは敷地内で農場や牧場、工場などで働き
利益を共有する。
20世紀初頭にガリラヤ湖畔に初めて建設され、現在では
260箇所を超え約10万人が暮らす。
ネゲブ砂漠にあるキブツ『マシャビ・サテ』では25ヘクタールの土地に
緑が広がりその一角に池が広がり10以上のコンクリート水槽
にはシーバス(スズキ)がいる。
アミット・ジムさんが養殖場を始めたのは'97年
政府の資金援助を受けてのことだった
今では食用に年間150トン以上を首都テルアビブに出荷している
水源は地下水。塩分濃度は海水の10分の1と半塩水だ
昼夜の寒暖が激しい砂漠の気温を利用して水温を
調整する。
養殖に使った水は周囲の畑に回し、オリーブの木やホホバ
アルファルファ、小麦などを栽培する。
ネゲブにはこうした養殖場が10箇所あり、水温によっては
熱帯魚を育てているところもある。
『砂漠ならではの技術開発もあるんだ』
と、農業省の技術開発者は例を他にも挙げる
地球温暖化に向けて、暑さにも耐えられるホルスタインの開発
砂漠でも育つ野菜、地下の半塩水と水道水を混ぜ
栽培し『砂漠の甘み』と呼ぶところまで糖度を高めたトマトなど

kibutsu
イスラエルが日本に求めているのはアラブ諸国との『触媒役』だ
自分たちが正面きってこういった『技術』を売り込みにいけない分
どちらにも顔のきく日本に協力して欲しいというところだろう。
ようやく日本が重い腰を上げたのは'05年、エジプトに協力を
されてからのことだった。
国際協力機構(JICA)が加わり'06年から『日本・イスラエル・エジプト』
で昨年11月農業指導者候補の20人を招き、日本の学者が
堆肥つくりの基本を説明、こういった研修は'08年度まで
続くというがそれでは不十分だろう。
イスラエルの事業はやっと軌道にのりかけたばかり。
支援の手は長くなければならない。

テーマ:国際経済 - ジャンル:政治・経済

【 2007/03/01 16:41 】

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