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監督は18歳

kishi

織田裕二の昔のドラマで『19歳』というのがあった
学校になじめなくてダブりになってしまった高校生の役を
演じる主人公を演じていたのだが、まさにそれを地でいく
高校野球最年少監督が現れた
兵庫県姫路市の市立琴丘高校の岸一樹(18=写真)
彼は四年前に別の私立高校の野球部に在籍していたが
上下関係の厳しさと朝から晩まで練習漬けの生活が肌に合わず
翌年琴丘高校を受験、入学しなおした。が、
日本高校野球連盟の規則では参加選手を
『高校在籍三年以下』としているため彼が出場できる
のは二年生の夏まで、それでも日が暮れるまで居残り
送球練習を続けていた。
当時の富浜監督(42、現在は部長)は『最後の夏、なんとか
あいつをベンチにいれてやりたい』と考え監督案を打診
最初は何をやっていいのか判らずノックも思ったように飛ばない
当初は、富浜部長に毎日のように指示を仰いでいたという
今では伊藤キャプテンと協力し、メニューを考える
『言いたいことを監督にいって何でも自主的に決めて
いくから『やらされている』という気分がしない』
と語る。目標は、自分のいた高校の野球部と対戦すること。
『このチームで積み重ねてきたことをぶつけてみたい』
最年少監督は今羽ばたく。
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テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

【 2006/06/26 22:30 】

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オペル日本撤退

原産国ドイツ、'29年以降からGM傘下の『オペル』が
'06年内で日本から販売撤退するらしい。
経営不振が続くGMのブランド再編成が目的らしいが
買収しといてそりゃないだろう
…こういう形で日本に来なくなっちゃったクルマって
何台あるんだろう…リアスタイルが『絶壁』なクライスラー
だってマニアが撤退を聞いて慌てて買いに走ったのか
今、近所の駐車場で沢山見かけるし(爆笑)
オペルの創業はかなり古い。
1862年にドイツでミシン屋さんに始まり、自転車屋さんで
成功したオペルさんという人が1885年にお亡くなりに
なられて創業者の二代目のアダム・オペルさんが
1898年にフランスのダラックと技術提携して
『オペル・ダラック』で売り出したのが始まり。
ダラックは当時フランスを代表する
大衆車だったしルノーなどと提携してたのもあったそうで
ダラックのボディにオペルのエンジンという光○自動車
みたいなコトだったのですね。
で'05年あたりからオペルが独自の技術で作れるようになり
独立。'10年には年間生産数千台のドイツ最大のクルマメーカーに
さらに'24年にはシトロエン5CVをお手本にラウスプロッシュを
発表。951cc 12PS 3速で当時 最高速度70KM/hを記録した
このモデルは『ホルクスワーゲンビートルの先駆車』とも
言われていた。
が、'29年、第一次世界大戦後、米国GMの傘下に入ってからは
大人しい車の作りになってしまったのは拒めない。
どうみても、この時代からの歴代オペルはフツーのハコ車
なのだ(汗)
そんなオペルが日本に入ってきたのはバブルが終わった'93年
不況突入の前に堅実を求める広告代理店の新入社員には
BMWよりオペルの方が堅実に見えるだろう…の読みだろうか
ピーク時には年間3万台売った売り上げが、今では1796台と
光○自動車の限定生産も青くなる売り上げだ
[ GMは今後、『シボレー』『キャデラック』『サーブ』
『ハマー』を売り出すことを発表。
『オペル』は為替の安定しているユーロ向けオンリーの
商品とするらしい。
それなら『ラウスプロッシュ』を現代風にモデルチェンジして
カ○ロス・ゴーンに販売権でも売りつけて販売して
くれればいいのにと思うカーマニアでした。

テーマ:旧車 - ジャンル:車・バイク

【 2006/06/12 17:56 】

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ザビエルの末裔

arubaro

日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの
15代目の末裔が'06年6/7日鹿児島県奄美大島に到着し
ここでザビエル城の石を献上した
彼の名はアルバロ・デ・マリチャルさん(45)
スペインで不動産業を営んでおり、サビエルの
生誕500年になる今年
『サビエルは人生のお手本、
先祖がそうであったように
自分も祖先が訪れた国に行きたかった』
と話す
彼の旅は、サビエルの死去した中国香港の上川島を出発
マカオ、台湾、石垣島、宮古島、久米島により4日に
沖縄本島に到着。
沖縄諸島まで2000KM疲れも見せていなかった。
また『石垣島に入ってから人々の雰囲気が
明るくなった。他の国と全然違う』

沖縄の感想を述べていた。
この後、山口、大阪を経由して東京に行かれるそうですが
情熱の国、スペインからのオジサマ、ブジに
たどり着かれるでしょうか。
情熱の水上の旅に使われている水上バイクは、出迎えた
沖縄のヨットクラブの方が驚かれたほど小さかったそうです

テーマ:びっくりした~ - ジャンル:ニュース

【 2006/06/07 17:14 】

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