普段目にしたり聞いたりして興味を持った雑学を集めてみました。新聞からお笑い、TVドラマ、ふと目にするものの由来までどうぞ。

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クイール


松竹系列は動物ものをよく配給するんだろうか。
「子きつねへレン」を配給した映画館で前に「クイール」
を上映していた、犬が好きなのでやっぱり涙なしで
見られない。
都内の住宅で古美術店を営む水戸(名取裕子)の家の
ラブラドルレトリーバーから元気な子犬が生まれた
この子供たちをどうしても盲導犬にしたいと、
盲導犬センターの訓練士、多和田(椎名桔平)に
毎日のように電話をかけては断られる彼女の足元で
はしゃぎまわる子犬たち。
『おいで、と声をかけても注意深くしてから
来る子は盲導犬の才能がある』
最終的に渋々折れた、
多和田の言葉を信じ、彼女は六匹の子犬たちに
呼びかけてみた。一匹だけこない・・・お腹に鳥の
羽ばたくブチのあるラブラドルレトリーバー・・・
この子は運命の子なのかもしれない・・・
都内の彼女の家から、育ての親である、
パピーウォーカーの仁井夫妻(香川照之・寺島しのぶ)
のところに引き取られてきた犬は『クイール』・・・
鳥の羽と名づけられ、一歳の誕生日まで大切に育てられた。
そして盲導犬となるべく訓練センターでの生活を始め、
多和田訓練士(椎名桔平)の訓練を受ける。
色々な所でてこずらせるクイールだったが、盲導犬の
基本は待っていることというのをある日、ひょんな
ことからクイールを置き去りにしてしまった多和田は
見かたを変えて、訓練するようになった。
この子は褒めてやればいいんだと・・・
クイールは、そんな多和田の思惑で、盲導犬を断固拒否
していた渡辺(小林薫)のパートナーになることになる。
渡辺は糖尿病で失明して以来、白杖一筋。クイールの
パートナーに決まった後も、試験は彼のガンゴさゆえに、
彼だけが落第。
そんな彼とクイールの二人三脚の人生がはじまったのだが
最初は、クイールは産まれて、もちょもちょと,
イタズラばかりしてるシーンからはじまるので、もう
かわいいときたらコトバで言い表せないです。
そして、クイール一匹の物語でないことも。やっぱり
映画ですから説明不足な面もあるのですが・・・、それを
頭においてもよかった映画かもしれないです。盲導犬が
たった一人のパートナーだけとお仕事するということや、
老後をパピーウォーカーに見取られていくということは
滅多にあることではありません。
それだけに、ラストの7年後のクイールに仁井夫妻が
クイールに『もう何処もいかんでもええで』と話しかける
シーンは、やっぱり涙なしではみれないシーンでした。
もう、よろよろで歩くこともままならないクイール。
パピーウォーカーさんの撮影してるバショ、あれって
ウチの家から車とばして20分ぐらいのトコなんですが(爆)
何でロケに気がつかなかったのだろう・・・あんな感じで
ワンちゃんのお散歩してる人、近所はいっぱいいるから
全く気がつかなかったわ・・・
盲目の渡辺さんが、クイールよりも先に逝ってしまった
シーンはクイールが自分より先に天国へ召されてしまう
なんて耐えられなかったんじゃないでしょうか。
ヘソまがりなのに寂しいから、そんなことなんて
言えないだろうし、あの病院でクイールが去っていくのを
気配で知って手を振るシーンは、今は亡き自分の父親
ダブりました。
父親も劇中の渡辺さんと同じ出身で同年代で亡くなっています。
臨終何日か前に、お見舞いに来た私に『コイツは置いてけ』
たとあるものがあるのですが、それは裏日記に。
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【 2006/02/28 15:26 】

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「あぶ刑事」のユージが押し殺したもの


昨年「あぶ刑事」の映画が公開されたので見ましたが、
デンデン、レビューを書く機会がなかったので、
こちらにかきまする。
そもそも、邦画、殆ど見ないんですわ~。洋画党で。
でもあぶ刑事は例外
もう、劇場いったらワクワク、お客さんとこれだけノリが
一緒で、同じ所で「きたぞ、きたぞ、きたぞ~キター!」
と笑えるのはこの映画ぐらいっしょ。
これもそれもお客さんの大半がTV放映時代から「あぶ刑事」の
人気を支えて好きでいてくれた方かもしれないです。
個人的には、今回の映画、「まだまだあぶない刑事」
前回、消えたはずのタカ(舘ひろし)とユージ(柴田恭平)
は韓国・釜山に潜入捜査官として核爆弾を密輸しようとした
一団を追っていた。
ロングコートがしびれるぜ~、が!お二人ともアドリブ健在!
タカさんお得意の英語、ユージは先端の韓国語。
で、核弾頭はどういうわけか横浜へ、七年ぶりに舞い戻って
きた二人を迎えたのは課長に昇進した
トロイ動物…じゃなくて、透(仲村トオル)
薫は少年課長に、松村さんは港署長、深町本部長…

みな昇進してるばかりか、透は、若手刑事IT野郎の水嶋
(佐藤隆太)ガンマニアの鹿沼(窪塚俊介)を使い
「近藤課長化」している。
が、タカとユージは七年前とらえた銀行強盗・尾藤(田中哲司)
が脱獄し、七年前の東洋銀行襲撃事件の仲間二人が
罪を逃れIT分野で成功してることに報復しようとしてるのを
知る。その一人キャロットの社長海童の秘書美咲(原沙知恵)
に何か秘密があると二人はにらむのだが…
煮え切らない展開も多々ありました。悪役もうざっ
と思う展開になってしまったし(涙)。
結果からいうと、美咲の恋人が海童に殺されてたかなんかで
それを知った水嶋と鹿沼が、報復に協力するため、港署に
潜り込んだという。
悪役たるものやはり、主役ぐらい美徳のある
男性でなくてはいけません

主役以下の美徳もねー息子世代が台本1P能書き垂れるシーンには
長いからもういいよ。ともいいたくなりました
なんというか~詰めが甘いってか、昔の監督さん、長谷部さん
(瞳ちゃんのお父さんですかい、恭平パパリンが撮影中に頭に
怪我した時、黒のテープを頭に張って撮影を続行させたコワい
監督)なり柏原さんなり、セントラルアーツの古株さんが
作るとこうもならんかったかも…○田裕二あたりが主演だったら
この映画ダメダメでしたでしょうなぁ…「踊る~」は一度も
映画館に映画見に行ってません。映画館でみる代物でも
ないかなと。
「あぶ刑事」の感想、いろんなとこでレビューかかれて
いますが、今回特に、「TVを見てる人へのサービス」みたいな
感じはあったかもしれないです。他の映画作に比べて。
でも、「映画だけみててても面白くない」
とモロにレビューに書いて低い点はつけんでくだされ。
なんつーかわかった人のノリである程度作ってる
予習復習の必要な映画が一つぐらい邦画にあってもいいんじゃ
ねえかと。1から10まで説明しなきゃいけないオコチャマな
刑事ドラマなんて海外にはないわけだし。
今回の撮影の三ヶ月前に恭平パパリン、21才の長男を亡くされた
そうです。喘息の持病を持っていたそうで、学校の寮に
入っていたそうですが、それが今年の寒さもあって体に
響いたのかもしれません。
息子さんのことはかわいがっていたパパリンですが
ある程度の距離は置くように気をつけていたそうです。
そのプロ意識、撮影で一切何もみせなかったその強靭さに
スタッフは何を思ったのでしょうか。



TV版のBOXセットは初回限定版です。
これはファンならずとも買うべき。TV全話を収録しきった
私のようなファンは別ですが(爆笑)
下は初めての映画化。長谷部さんの監督作なので見ごたえあり。

テーマ:DVDで観る! - ジャンル:映画

【 2006/02/20 14:06 】

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JR急行列車の未来

'06 3/16のJRダイヤ改正で、また姿を消す列車がある。
奈良と名古屋を結ぶ急行列車『かすが』(2両編成:110席)
が廃止になる。平日の昼に乗客が30人しかいないこの急行
'49年に名古屋から大阪・難波までの準急としてスタート
'66年に急行になり'73年からは奈良まで足をのばした。
JR東海が'99年に新型車両にかえたものの乗客の下げに
歯止めがきかず名古屋ー奈良は、新幹線や近鉄特急、
近距離ならば新快速を利用するというのもあり、廃止が
決まった。これで奈良は唯一、特急、急行の走らない
県になってしまうにも関わらず、存続を望む声が寄せられない

急行は、新快速もなく、ブルトレも夢であり、新幹線は
一部の管理職しか乗れなかった'70年代までのサラリーマンや
学生をささえてきた。愛称は300を超え、'70年10月のダイヤでは
1200本以上が運転されてきた。
'70年代を越すと、急行は路線変更や特急に格上げや廃止が相次ぐ
九州と四国には1本もない。
停車駅を少なくした旅客列車で、急行券が必要。時速95~110KMと
速度は新快速並を一定に保つ。それよりも早いものは特急扱い
1894(明治27)山陽鉄道(JR山陽)が走らせたのが最初だったという
現存する急行は、みよし(広島ー三次)、つやま(岡山ー津山)、
は現存する普通の急行、後は夜行になる。
夜行は特に当時だけでなく、寝台特急(ブルトレ)の料金を
払えなかった+行きはブルトレ、帰りは急行と旅費を節約
したい近場の学生旅行者にも残して欲しい電車である。
はまなす(札幌ー青森)、きたぐに(新潟ー大阪)、
能登(上野ー金沢)、銀河(東京ー大阪)、それぞれ現存する
急行は日に二本しか出ていない。廃止になるまでに全て制覇する
ならいまのうちだ。

テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

【 2006/02/19 16:49 】

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PSEはPCだけにあらず

'06年四月から電気用品安全法なるものが実行されて
しまう。ホトンドの中古家電は売れなくなる
だけでなく、アンティークランプや、'70年代の電子ピアノ、
クラビネットまで対象になるのはご存知だろうか。

お役人たちは『中古品の売買を禁止にしたわけじゃなく
経済産業省が登録した検査を経てPSEマークをつけたモノなら
売ってもいい』
とヌカしている。
電子楽器類は販売店の自主検査でいい…とはいうものの
その検査1000ボルト以上の絶縁耐久試験
が課せられ万が一の時には店主が責任どころか死んでしまう

楽器店の店主が全員『山田かまち』になってもいい
とお役人はのたまうのだろうか。
この法案『個人間取引は例外』としてるので、オークションとう
手もあるが既に、大手ネットオークションサイトでは
一定以上の商品を出す人間を業務と見なしている

この法案、そもそも成立したのは'01年、五年も前に
国会質疑はホトンドされることなく通過してしまい
新聞にもホトンド載らなかった法案だということはご存知

だろうか。 『自分たちの生活に影響し、わずかな楽しみを奪うような法案が
『莫大な費用と年数がかかるから』という理由だけで可決される』
そんなことがめだって来ている。
一番の打撃を受けているのが、家電製品店かもしれない。
コツコツと直しては、そんなに新品を買う余裕なり、新しい
電化製品の使い方を覚える余裕のない人たちに中古家電を
分け与えてきた町の電気店なり、工場を構え直してきた大手家電店に
すれば『不法投棄』が増えるだけである。
古いものは、新しいパーツではなおらない。
楽器を買う人の中には、学生時代にはかえなかったヴィンテージの
楽器をやっとコツコツとお金をためて買えるときがきたら
コレである。
こうした法案を作ってるのが、音楽家でも家電製品店の出身者
でもなく、タダ『古いから危ない』という観念の持ち主だと
したら怖い話だ。
一部の俄か金持ちが、その場限りでワケも判らず使ったお金の
統計をみて、○銀総裁が『経済回復したから金利をあげよう』
と言うぐらいトンチンカンだと思うのだけれど。

テーマ:PC不調 - ジャンル:コンピュータ

【 2006/02/14 16:08 】

News  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

使い捨てカイロは日本だけ?

暖冬といわれ久しいですが、'06年は久々の大雪、
使い捨てカイロは朝早く出る時の心の友です。が
これってアジアでは日本以外の国で
作ってるのは皆無なんだそうです
…マジかよ。
じゃぁ、冬のNYやロンドンなんかいくときには『使い捨てカイロ』
山ほど持っていかないと腰痛になりそうじゃん…ヤバい。
30年前に日本人が発明して
今では米国のアウトドアショップに並び、ドイツやイギリスでは
何と医療用(!)になってるという。
袋の中身は鉄粉と活性炭、食塩水を混ぜた
バーミキュライトや木粉などの保水剤で、鉄が錆びる時に
熱が出る仕組み
になっている
温度と持続時間は材料の混ぜ具合と酸素の量で微妙によって
コントロールしているらしい。

中袋に不織布を使って酸素を通すようにして、使う前に酸素と
水分が抜けない特殊フィルムで覆ってあるらしい。
なんといっても、使い捨てカイロが普及したのは'88年
貼ってはがせるタイプが マイコールから出たことだろう。
その『使い捨てカイロ』生まれたのは'78年だが、この元になった
製品を開発したのが、旭化成だった。
'72年、旭化成の火薬事業部に用途不明の米軍備品が持ち込まれた。
革バックの中に水を入れるとセ氏70度で40度ほど発熱した
ナゼだろうと思いバックについていた成分を分析すると、
鉄粉と過硫化カリウムが反応したことがわかったらしい
これを何とか応用できないか、そうだ、カイロにしようと
45度24時間を目標に試行錯誤を繰り返し'74年試作品
『アッタカサン』を試験販売した、が、同社幹部が
『わが社は材料会社であって製品は邪道』と、特許でもとれば
大金持ちになれたであろうこの商品を売り出せなかった。
しかも、鉄粉と食塩水を混ぜて熱を生みだす仕組みは
既に明治時代に特許が取られていた。

いくつかの中小企業がその後商品化にいどんだが、販売力
資金面で商品化にいきつかず、'78年、ロッテが
『ホカロン』として売り出すまで日の目は見なかったという
ちなみに、この『使い捨てカイロ』の原型を作った方が
他に手がけた商品は、『あたたまる駅弁』などに採用
されている『ナルホット』
プラスチック容器の底に
生石灰と水の袋をいれ石灰が発熱する原理を利用してるらしい

テーマ:なんとなく気になる。。 - ジャンル:

【 2006/02/08 20:47 】

Culture  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

男前豆腐店

ワタシの住んでる所は、豆腐に煩い地域。
皆それぞれ『お抱え豆腐屋』があるようで、『どこそこの
○○が美味しい』だの『○○はデパートに出店してから味が
落ちてもうダメ』だの手厳しい。
水+豆+苦汁とシンプルな材料+作り手もあるだけに
人は昔とかわらない品質をもとめるのだろう。
そういう私も、『お抱え』とまでいかないけれど、好きな
豆腐店は三軒程あった。一つは山の奥までいかないと
いけない上に、豆腐屋だけどクリスチャンで(爆)
日曜がお休み
なので買いにいけないこともしばしば
もう一件は前に行っていた皮膚科のお隣にあった豆腐屋で
一丁200円の絹ごし豆腐はいつも作りたてのアツアツで
容器に入りきらないほどの山盛り。『ありがとう』と
いってくれるおばさんの顔がほほえましいお店だったし
味もよかったのだけど、豆腐を作っていたご主人が
亡くなられてしまった
それ以来『これぞ』という豆腐にめぐりあえず早10年は
経とうとしていた矢先、近所のスーパーで
ミョウチクリンなルックス+高い+デカい豆腐が
売りに出されていた…
その名は
風に吹かれて豆腐屋ジョニー
ま~豆腐ってホトンド『日常食』で毎日食べるモノなのに
フランスパンみたいになげ~し。食べ切れなかったら
どうすんべ…でも食べたいな~どんな味するんだろ…
ウマかった
レアチーズケーキやヨーグルト、おぼろ豆腐、豆乳鍋
あの系列の好きな人にはたまらないコクときめ細かさと
滑らかさ、これなら『豆腐激戦区』でもイケる。激戦区の
人間は、一度『これだ』と認めちゃうとバカったかいお金
出してでもリピーターするものなので。
この『ジョニー』を製造してる会社、その名も『男前豆腐店』
シュールすぎてワケわからん…このP…
でもなんとなくグー。
これだけ『一部の人間にウケてるお豆腐』を近所でお気軽に
GETできてしまうなんて幸せではないの??
ジョニー、頼むからウチのスーパーから消えないでおくれ。
またお豆腐ジプシーになるのはごめんなのだ。

テーマ:B級グルメ - ジャンル:グルメ

【 2006/02/05 21:05 】

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Tシャツ革命はプチバトーから

petitbateau

今のデザインは『あんまりなぁ』となってしまった(涙)けど、
出回った当初『プチバトー』は当時『ブラウスもしくはシャツ派』
だったワタシがTシャツを買うキッカケになった+どういう生地
+裁断+価格の三点のバランスを見るバロメーターになった。

特に、'90年代後半に最初に出回った『半袖Tシャツ』
リムの部分が細く、V字カットの襟ぐりで以降、このデザインを
マネしたのは、色んなメーカーから雨後の筍の如く出てきたの
だけど、攪拌洗い+アイロンに強く、飽きないのは出てこない
プチバトーもこの型を廃盤にして、リブの厚いダサダサの
半袖を売りだしちゃったものだから、『幻』の型となり、以降
『いいデザインがあれば、買う』ブランドとかわった。
あれ以来買ったのは『ノースリ』と『限定品』だけかも
しれない。そんなプチバトー、生まれはフランス。
1893年にピエール・バルカンという人がシャンパーニュ地方に
肌着メーカーとして設立したのがはじまり。
当時、足の長いベビ-ウェアしかなかったのに気がついた
ピエールはベビーウェアの足を切って子供用ショーツを作った。
そのときに息子が『プチバトー(小さな船)にも足はあるの?』
と聞いたことからこの、社名になったのだそう。
『赤ちゃんが快適に』というコンセプトから
開発されたメーカーだけに素材は1×1リブ編み(大人用の
シャツも同様)の細かいものやパイル地のパジャマを
いちはやく取り入れたり、赤ちゃんの頭が通りやすい
USネックのジャンプスーツなどを採用。

日本に初出店したのは'98年、ソニプラとデパートを中心に
出店。'00にはシャンゼリゼ、NY,ロンドン'02年には世界
140ブティック、フランス国内100ブティック出店となった。
綿カーデガン+ノースリと組み合わて、コート下のインナーに
着れば通年着れてお手軽でオシャレです。

テーマ:かっこいいTシャツ - ジャンル:ファッション・ブランド

【 2006/02/03 14:58 】

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サザエさんの髪型は実在した?

冗談だと思ってたのだけど終戦直後『サザエさん頭』は実在
どころか流行
してたのだそうな。
100年も経てば今どきの女の子の『巻き髪』もそういう扱いに
なるんだろうけれど(コラ)
これが『実在しました』という『証拠写真』
sazaesan

新美容出版の創立50周年記念('68年当時)『しんびよう』で
石口キクヨさんが終戦後の髪型を再現したのが、コレ。
ま~コレだけだったら今ひとつ信憑性もねーなぁ…
てので、ウチのバサマがオカンをつれて幼稚園の
遠足に行った写真をみせてもらった。
サザエさんぽかった(爆笑)
つーか、あの当時、美容院にいく余裕のある人は
出来損ない『サザエさん』になってるというか…
『サザエさん』の原作者、長谷川町子さんはマンガの連載を
頼まれた当時を振り返る。
'46年の連載当初、『ハリウッド美容室』に出来た長蛇の列にも
サザエににた髪型の人が描かれていた。
メークアップアーティストの清水悌さん(71)さんは少年時代,
写真館や美容室であの髪型をよく目にし、
『11歳年上の姉も前髪に三つカールをつけてアルミのクリップで
巻いて、カールが壊れないようにそっと外して櫛で,とかさない、
そんな感じでした』…今では考えられない話だが
戦後明るくなる象徴として『パーマ』がとりあげられたわけだが,
電気をつかわない薬品で形をつくる『コールドパーマ』が
出来るのは終戦5年後の'50年から徐々に広まる。
'48年の小学校教員の初任給が2000円の時代、パーマは
一流店でかけると420円。それでもお客は来た
コールドパーマ液開発担当者の第一人者の一人で美容師の
大谷智恵子さん('06年当時83歳)は『朝くらいうちから
お客さんが集まってきた』という。
今、髪に悪いと呼ばれてきたパーマ液の開発も進み一ヶ月に
一回かけても昔に比べれば比較にもならないものが出てきた。
それもこれもモデルや芸能人、一部のセレブの個人投資から
生まれ庶民に広まったものかもしれない。ありがたいことだ。
昔は、こういう『庶民に届かないものを、庶民に届くまで
徹底して使うセレブ』は品もあり、自分たちの階級だけで
富を独り占めにするようなこともなかった。
二極化してる今、某IT長者のように『お金がすべて』でなく
弱いものも牽引して今の波に乗せていけてこそ、本当の
『長者』じゃないだろうか。

テーマ:こんなの見つけました。 - ジャンル:ブログ

【 2006/02/03 14:09 】

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